今日は私のボディメイクや健康に対する想いをお伝えします。
あなたの健康に対する意識を確認したり見直すきっかけになったら嬉しいです。
思い立ったら書き足していきます。
49歳にして思うこと
もうすぐ49歳になります。ここまであっという間の人生でした。人生の折り返し地点にきて思うこと。
私の人生このままでいいの?という想いでした。きっと誰しも大なり小なり思うところはあるはずです。
まず最初に頭をよぎることは「健康」への不安。
私自身が17年間、ずっと高齢者のリハビリ支援を行なっていたということもあるかもしれませんが、健康について後悔していない人はいないし、老化衰えは生きている以上避けられない。
生まれたからには死んでいく。生命として当然のこと、分かっているはずなのに自分ごとにはならない。どこか他人事。
臨床にいると、「〇〇さん、また明日もリハビリやりましょうね〜」と笑顔で別れた翌日「昨晩〇〇さん、お亡くなりになったよ」と知らせが来ることもあった。高齢者だから、ではなく死は誰にでもやってくること。そういう現場にずっと身を置いてきたから今日目が覚めることは当たり前じゃないし、今日を迎えられたこと、それ自体が幸せで当たり前じゃないんだよって思ってた。
そして、6年前に父が突然の心筋梗塞で朝を迎えることができなかった・・・
だから、頭のどこかで常に「明日死んでも良いと思えるか」って自分に問いかけてる。
だからこそ、今という瞬間にフォーカスしてめっちゃ自分がやりたいことをやれる
会いたい人しか会わないし、会いたくない人には会わない。だって自分の時間がもったいないし、相手にも失礼だから。
自分の当たり前は当たり前じゃなくって、今日起きれたこと、ご飯食べられること、快適に過ごせること、それだけで十分幸せだし、もうすでに幸せで満たされているんだよね。なのに自分の外側に幸せを求めていくのは何でだろう
承認欲求かもしれないし、それは人間の欲求だから仕方ない。でもそれは他人からしてもらうのではなく自分が自分を認めてあげたら良いのだと思えるようになった。今まで自分に自信がなかったからいつも不安で、他人から認めてもらうことでしか自分の存在意義を見出せなかった。でもそんなこと必要ないとやっと分かった。48にしてやっとだよ・・・長かったー
親の介護
親の介護について実際に直面されている方はいますか?私の母は早くに私を産んだのでまだ70代ですが、一応元気でいます。
若い頃は痩せ型だったのですが、60を過ぎてから太ってきて、現在は肥満体型です。先日2年ぶりに帰省した時に色々話を聞きましたが本人なりには気にして病院に行ったりしているそうでした。病気の可能性も高いと思います。「自分でもなんとかしたいけど、どうにもならない・・・」やり方が分からないということもありますが、諦めている感じがしました。
諦めたらそこで試合終了です。ただ、その諦めざるを得ない環境にいることも大きな要因です。母は妹家族と一緒に住んでいますが、高校生男子の孫がいるので食事内容がどうしてもハイカロリーなものになっていました。
その環境の中で自分1人だけヘルシーなものを食べるというのはなかなか難しいかもしれません。現実的ではありませんが、私と一緒に生活したら痩せると思います。食生活やマインド面などその「環境」があります。
話が逸れてしまいましたが、本題に入って・・・
親の介護問題は、うちは父が6年前に他界しているので母だけ。しかも母は妹家族と同居させてもらっている。
妹は私と同じく介護業界で働いているので介護に対しては2人ともシビアです。2年前に帰省した時は妹は「要介護になったら施設に入れる」と言っていました。もちろん私も妹の意思を尊重し同意しています。介護って本当に大変なので共働き夫婦には難しいことが多い・・・
ですが今回は、「家で介護する」みたいな意向に変わっていました。母の性格的なところも考えて今はそう思っているようです。歳を重ねてますます頑固な性格になり愚痴が多くなりました。施設に入っても職員や他利用者との関係がうまくいかないと考えてのことだと思います。施設に入所する時にご家族様から「うちの父は頑固なので他の方に迷惑をかけないか心配です・・・」と言われる娘さんが多いです。介護って比較的最近の問題ですよね。だって昔は介護が必要になる前に寿命が来ていたから。
だからこそ、社会も対応できていないことが多い。家族で抱えようとするから問題が大きくなる。もっと外部に頼ることが必要だと思う。家の中に外の人を入れたくなっていう人も多いけどそれ違うよ!
24時間365日いつ終わるか分からない、しかもある日突然終わりが来るという両面を持ち合わせている。その終わりが見えない状況から、介護疲れで命を絶ってしまうケースも実際に見てきました。それも数件ではありません。もっと助けてと声が出せたら、見つけられたら、後悔は尽きない。その状況を目の当たりにして、私って何ができるんだろう・・・っていっつも考えてた。何も出来ない。リハビリって意味あるのかな?とかまで考えだして、意味ないじゃん!って思ってました。
あなたの親は老後どうしますか?施設?自宅介護??誰が面倒を見て、お金は?
兄弟が仲違いして音信不通とか普通にありました。親子って、兄弟って、夫婦って何だろう・・・
最後は認知症で記憶が薄れていく中、夫の顔も子供の顔も分からない。
それに腹を立てている人、分からないから面会に行かないという人、行っても意味ないから・・・
でもね、ちゃんと分かってるんだよ。分からないなりにも表情で分かる。毎日見てるから。
認知症の人ってその人が出す雰囲気でちゃんと見てる。自分に害を与えない人か、あんしんできる人かどうかって
本当にびっくりするくらい表情が変わるんだよ
だから会う時は優しい顔で会いにきてほしい。分からないからって眉間に皺を寄せた顔をしないで欲しい。
大好きなお父さん、お母さんにかわりないんだから
健康になるためにお金を使う
今は人生100年時代と言われていますが、そうなってまだ10年ちょっとの話だと思う。
今の100歳見てると分かるけど寝たきりの人も多い。そりゃそうだよね。100年も生きてるんだもん、それだけでめっちゃすごいこと。
でもさ96歳まで自分の足で歩きたくない?
90歳まで歩けるカラダを作るって目標を立てると、じゃあ80歳時点では、70歳時点では・・・とその時点での目標や在りたい姿が明確になってくる。
それで50歳のワタシって考えると、やっぱり食事と運動は欠かせないって明らかになる。じゃあ具体的にどんな運動をやれば良いか?どんな食事を摂ればいいか?SNS上のそこらへんの動画を適当に漁ってるようじゃ健康リテラシーは低いまま。
だってそれって自分に合ってるか分からないんだから。そりゃ20代とか30代半くらいまでだったら良いよ。
そんな無料の情報で健康になるんだったらみんなとっくに健康になってるよ。
「知ってる」と「できる」は別物!!正しく今の体の状態を評価してくれる人、自分の体に合ったエクササイズをやろう!健康になるためにお金と時間を投資できる人は強い!!
時間をどこに投下するか?
1日24時間、これは誰にでも平等。特にママさん達は自分のことだけじゃなく子供のこと、家族のこと、仕事などいつも時間に追われてる。だからこそ睡眠は蔑ろにしてはいけない。パフォーマンスダダ下がりになってしまう。睡眠1時間削ると昼間の2時間を無駄にしてしまうのと同等。睡眠時間の7〜8時間を確保すると、それ以外の16時間を活動に充てる。仕事している人はそこから10時間ほど引く。残り6時間。食事や入浴・保清など生活上最低限かかる時間を3時間引くと、残り3時間もない。
その貴重な2〜3時間をどう使う?これって人生を豊かにするかそうでないかに関わる根幹部分だと思う。私はこの時間を「緊急ではないが、自分の人生にとって重要なこと」にする時間に使っている。私の場合は「読書」5分でも良いので必ず本を読む。
病気を治すとは
あなたは病気を治したいと思いませんか?病気になるとメンタルも低下してココロも停滞してしまいますよね。
病気を治療する努力をしているのに、なぜ治りにくいのか?病気が治りやすい人とどういう部分が違うのでしょうか。
それは病気を受け入れているかどうかも関係すると思います。
病気や障害の受容(受け入れる)には4つの段階があると言われています。
1ショック
2否認
3混乱(怒り・抑うつ)
4解決への努力
5受容
病気や怪我を負うとまずは第1段階「ショック」を受けます。私も難聴になった時はショックでした。まさか30代で耳が聞こえにくくなるなんて想像もしていなかったのでショックが大きかったです。
そして、次は「否認」です。「こんな病気になるなんて、こんなの私じゃない、嫌だ。」と認められない状態。第3段階として混乱が起きて怒りに支配されている状態です。臨床の場ではこの第3段階で止まっている方が多い印象でした。私も第3段階で5年くらい留まっていました。職場のいじめのストレスから生じていたのでいじめた人を恨んだり、憎んだり、私が苦しんでいる姿を側で見ていた夫にも「何で何もしてくれないんだ!」と責め立てたりしていました。全部自分の責任なのに他人のせいばかりにしていました。今でこそ違う視点から物事を捉えられるようになりましたが、その時はそんな考え方もできるはずもなく、ただただ他人を責めたり、自分を責めたりの毎日を過ごしていました。これじゃ前に進めるはずありませんよね。
第4段階は「解決への努力」に進みます。精神的にも落ち着きを取り戻し、現実を受け止め「それでは、どうしたら良いか」という風に病気と初めて向き合うことができます。私はここで生活を見直したり、メンタルが落ちきってしまう前にケアするよう心がけたり病気を正しく理解し、自分でケアできる方法はないのか積極的に動き始めた時期がここ。
第5段階で「受容」この段階は病気も自分の一部と捉えられた、一体化した感じです。もう聞こえなくて当たり前の状態がデフォルトみたいな。でも決して諦めるのではなく、悪化しないためにストレスを避け、生活改善は続けていくという。
大なり小なりこの段階を踏んで最終的にはその病気を受け入れ、心が穏やかになる。そしてそこで初めて真の意味での治療が始まります。身体が薬や治療を拒否せずに受け入れる体制が整うのです。
ある日突然脳梗塞で倒れ、片麻痺になったという方を多く見てきました。多くの方が第3段階で長い時間を要していました。脳梗塞発症から5年〜10年経っても「バチが当たったんだ」と自分を責め続ける人。自分と病気を別々のものとして捉えているので積極的に治療しようという気持ちにならないんです。でもやらないわけにはいかないからやるけど・・・っていう感じです。そしてリハビリも「あなたが良くしてくれよな」みたいな他人事なんです。いやいやあなたの体なんだから良くするのは自分でしょ。私たちは正しい運動方法などやり方を指導するけれども、改善していくのはあなた自身しかできないのです。ということを何度も言いますが伝わらない。お互いストレスが溜まりますよね。そもそも視点が違うので。
なので、今の元気なうちから障害の受容にはこのような過程があるということだけでも知っておいてほしい。そうすることで将来病気になった時に今自分はどの段階にいると分かれば受容までの時間が短縮される可能性が高くなる。
当たり前だけど、受容までの期間が短ければ短い方が病気の期間が短くなる。受容すればそもそも病気と自分との境がなるからね。だったら早く受容してしまった方が楽。大切な時間を他の楽しいことに思いっきり使って楽しく過ごしたくないですか?
私が伝えたいことはこういうことなんです。
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